第1話  安楽寺始まりの話

第1回目のよもやま話ですので、始まりの話にしましょう。安楽寺の始まりの話です。

地元の記録を集めた「桜井谷郷土史」という書物が残っています。「桜井谷郷土史」は、松井重太郎という方が、桜井谷のみならず豊中北部一帯をくまなく調査し、江戸時代の文献から昭和の初めまでの記録、古老の言い伝えを細かく記録しているものです。当時の古老ですから、幕末生まれの方達であり、「桜井谷郷土史」は古くからの伝承が記録されたと考えて良いものです。

豊中の地には、行基菩薩が開基した「金寺千軒(かなでらせんげん)」(「金寺千坊」とも言う)という寺院群がありました。「桜井谷郷土史」前編中巻には、その寺院群の中に「金泉寺、北輪寺、安楽寺の三大寺があった」と記録されています。同じく「桜井谷郷土史」前編下巻には、安楽寺について、「浄土宗鎮西派に属し、柴原村の東端にあり、本尊阿弥陀如来は聖徳太子の作と伝え、中興開山圓譽上人の木像等数体の像あり、就中、善導円光両大師の小像は、往昔、宇都宮弥三郎と称せし武士、発心して法然上人の弟子となり、生母の安心の事を語りし往復の書信を集めて一閑張りの像とせしものなる由の伝あり」と記されています。
こうした伝承が確かであれば、行基菩薩の活躍した奈良時代に起源を遡ることが出来、法然上人の時代から安楽寺の尊像があったということになります。鎮西派というのは、総本山知恩院につながるお寺を言います。

一方、同郷土史に、「元亀天正の乱(織田信長と伊丹城主荒木村重の戦乱)にて焼亡し、廃跡寺となり寺号のみ存す」とも記録していますので、安楽寺の草創は不詳とし、ハッキリと江戸時代の文献に残っている「圓譽離念上人が中興開山」を以て、現在の安楽寺の直接の始まりとしています。
しかし、伝承は不確かなものとは言え、伝承として語り継いできたものであり、往時の人々の思いを伝えているものでもありますので、後世に大切に残していきたいと考えております。

第1回のよもやま話は少し固かったかもしれませんね。
今後、硬軟、いろんな話を載せていきます。