平成25年8月29日(木)~31日(土) 東日本大震災横死者三回忌念仏供養
平成25年8月29日(木)~31日(土) 東日本大震災横死者三回忌念仏供養
ー灯籠流し・安楽寺コーラス「花は咲く」の歌声を東北に届ける慰霊の旅ー
8月29日(木) 檀信徒さんと計14名で、灯籠流しの灯籠、「花は咲く」のテープを携え、朝10:00 伊丹空港よりANA733便で仙台へ。定刻に到着しバスへ。
14:40 陸前高田、「広田湾」に臨む、もと道の駅であった「高田松原」に到着。すべてが流され「高田松原」と大きく書かれた建物だけがそびえ立つように残っていました。
駐車場に追悼施設が建てられており、献花して三回忌のお勤めをしました。
14:50 おつとめ終わって、灯籠を持って広田湾に注ぐ河口に下りて、灯籠流しをしました。 檀信徒に広く灯籠流しに参加を呼びかけましたので、慰霊の旅に参加出来なくとも灯籠流しには参加という人もあって、その数、84名となり、その方々の名前を灯籠に連名で記し、「東日本大震災横死者三回忌追善供養」「復興祈願」と書いて、参加してくださった檀信徒の皆さんの思いを込めて灯籠流しをしました。
用意したカセットでテープを流しながら、練習した「花は咲く」を献歌しました。
付録:灯籠流しをした岸の対岸には、この地のシンボル的存在であった キャピタル1000というホテルがありました。
15:15 灯籠流し終わって「奇跡の一本松」まで歩いて行きました。すぐ海側にホテルがあり、その建物のお蔭でこの一本だけが残ったとのことです。
付録:3月の一本松
16:00 「奇跡の一本松」をあとに16:30気仙沼に、第18共徳丸を見学。そばに見てその大きさとすごさに「おお・・・!?」と思わず声が出ました。
17:10道の駅「大谷(おおや)海岸」で休憩。 付録:道の駅「大谷海岸」は、駅そばの道の駅で、プラットホームを降りると目の前が海水浴場で賑わったところ。
18:00南三陸防災庁舎を車窓に見て、ホテル観洋へ18:05着。
8月30日(金) 8:20ホテル観洋を出発し、8:30 遠藤美希さんが住民避難の放送をしながら流され、「天子の声」と報道された南三陸防災庁舎へ向かう。 車窓から見ているとの違って3階建て防災庁舎をそばで見ると、やはり見上げる高さ、「この建物がすべて波にのまれた」と聞くと、改めて「ああ・・・!」「すごい・・・!」と言葉にならない感動(?)というか、声が出なくなってしまいました。
津波のすごさを感じ、流された方々冥福を祈っておつとめをして、8:40に出発。
8:45 「南三陸さんさん商店街」。南米チリから送られたモアイ像が安置されて、JRのバス停もでき、バスが運行されていました。
お買い物を終えて、9:10に「さんさん商店街」をあとにする。
10:10 北上川沿いの「北上総合支所」に到着。石巻市の指定避難場所であった北上総合支所ですが、避難した人達を含む57人中54人が亡くなられ、その中に隣接の吉浜小学校の児童が11人含まれていたという。焼香所が設けられているので、そこで献花、3回忌のお勤めをする。
おつとめ終わって支所を10:25に出発し、北上川の対岸にある大川小学校へ。 付録:3月に訪問したときは、向こう側にまだ吉浜小学校が残っていました。
10:30 大川小学校に到着。訪れるたびに整備されていく様子が見て取れます。 74名の児童が犠牲になり、今でも毎日掃除に訪れ、子供を捜す家族の姿が見られるという。余りにも有名になりすぎて観光気分で訪れる人と悲嘆にくれながら毎日訪れる地元の人達のトラブルが続いてきたと聞きました。それでか、囲いをして一般の人達の入るのを止めているようです。 その囲いのロープを張った前に一般の方々用の祭壇があり、そこでおつとめしました。朝からの雨も止んだので、ここでも「花は咲く」の献歌をしました。
「花は咲く」を歌い終わって大川小学校を11:00に出発し、石巻から塩釜へと向かいました。
途中、11:20 道の駅「上品の郷」で休憩し、12:25に塩釜の笹かまぼこの店で昼食をとり、13:20に店を出て、仙台平野に戻りました。 ガイドさんから、米作りがようやくできるようになったと聞きました。海に浸かったので塩害があったが、「ひとめぼれ」は塩害に強く順調、「ササニシキ」は塩に弱くてダメだそうです。綿が塩に強いので、綿作に代わる農家も多いとのことです。 広い仙台平野、見える景色は草原。津波ですべてが流され、家の基礎だけが残るが、夏草が生い茂り、草原を走っているようです。その中で土盛り工事が進められています。被災地は、仙台に限らず、どこでも土盛り工事でダンプが走り回っています。
13:40 仙台市若林区荒浜 浄土寺に到着、奥様と息子さんの副住職さんが待っていただいていた。荒浜一帯は、街もお寺もすべてが流されてしまったところです。生い茂った夏草の間に家の基礎のセメントが見え隠れしている。 すべて流され、何もなくなったところにプレハブで小屋を建て、流された先から拾い上げて運んだ須弥壇に取りあえずの仏像を置いて本堂の代わりとされておられます。そこで3回忌のお勤め、副住職さんからお話を聞かせていただきました。
浄土寺さんでは法然上人800年遠忌を記念して、平成23年1月にお寺の航空写真を撮っておられ、写真にある立派な伽藍がすべて流されたことに驚きました。奥様は、「この写真は見ないことにしています」とおっしゃっておられました。以前はこんなだったのにと、悲嘆にくれるばかりになってしまうからだそうです。その気持ちは、痛いほどわかりました。 この度の東北慰霊の旅、灯籠流しに84名が参加されたのですが、その方々からいただいたお金を支援金としてお供えさせていただきました。 お見送りに出られた副住職さんと奥様と三々五々に皆さんと言葉を交わし、お話を聞かせていただいていたら1時間の時間が経っていました。
それぞれに「頑張ってください」「お身体大切に」など言葉を交わして14:45に浄土寺さんを離れ、 歩いて10分ほどの慰霊碑に参拝し、15:00 荒浜を離れました。
15:10 名取市閖上の日和山に到着。日和山は6m余りの山ですが、他に高台のない閖上では避難する場所でもあったようです。
朝は雨であったが、午後は暑さが戻り、暑さの中で東北慰霊の最後のおつとめを無事済ませることが出来、15:35 閖上をあとに2日目の宿、秋保温泉に向かいました。2日間の大震災3回忌法要、灯籠流し、「花は咲く」の歌も無事届けることが出来、宿についてようやくホッとしました。
31日(土) 仙台空港から帰阪の途に就くまで、青葉城址、塩釜卸売市場、五大堂、瑞巌寺などを見学、拝観しました。
ANA738便で定刻で伊丹に。大阪は雷雲の大雨もあり、伊丹空港に着陸時、ガクンと揺れたのがチョット怖かったですが、18:55 無事伊丹空港に着き、3日間の「東日本大震災横死者三回忌念仏供養」と「灯籠流し・安楽寺コーラス「花は咲く」の歌声を東北に届ける慰霊の旅」を無事終えることが出来ました。 たくさんのエピソードを聞きましたが、ここに紹介したのはごく一部です。住職は今回で4回目の東北になりますが、被災地があまりに広く、訪れるたびに新しいお話を聞きます。とにかく現地に足を運んで直に見て直に聞いて感じることしかないというのが、訪問するたびに感じる実感です。是非、機会を見つけて東北を訪問して欲しいですね。それが東北の皆さんの願いでもあるようです。
帰阪してから、大雨、竜巻、台風と激しい天気が続いていますが、東北慰霊の旅の間は、少しの雨と若干暑いときがありましたが、ほぼ天候に恵まれ、ありがたい慰霊の旅ができ、たくさんの思いを抱かせていただきました。感謝の思いです。
一ヶ月のご無沙汰でございます(*^^*)
その節は大変お世話になりました。
その後お変わりございませんか?
添乗員の福田さんを通じてお写真を頂きました。
本当にありがとうございました。
来月またこちらにいらっしゃるという事で、とても楽しみにしております。
まだ一ヶ月ほどありますが、風邪など引かないようにお過ごし下さい。
ご一緒された皆さま方にも宜しくお伝え下さいm(__)m
では来月、仙台でお待ちしております(*^^*)
高橋様 ありがとうございます。
この記事にまとめた8月の被災地訪問では大変お世話になりました。
お陰様で、灯ろう流しも、「花は咲く」の献歌も、大変うまくいきました。
11月にも企画しましたが、ちょっと人数集まらず、次の機会ということになりました。
そのときにはまた、よろしくお願いいたします。住職 秦 博文拝