よもやま話 第13話 東北船上回向Part 2
東北船上回向 Part 2 3月4日(月)
11:50白浜を出発
白浜のお勤めを終えて、南三陸町へ向かう車中で地元出身の 勝又三成さん のお話を聞かせていただきました。
歌津のご出身で、東京の会社をたたんで、仙台のマンションに住み、避難所として提供する。祖父の地元に戻ってきてボランテイア活動。余技で潜水をしておられたが、震災に遭って、潜水の正規の資格を取り、社団法人震災復興支援教会「つながり」を立ち上げ活動されている。

鉄骨の骨組みだけになった南三陸町防災庁舎。 「天使の声」と言われている遠藤未希さんが避難を呼びかけた庁舎。 やはり、保存と撤去と両方の意見があるとのことです。 途中の車窓より撮影
車中の勝又さんのお話から
震災当時、ライフライン、電気などなく、情報が入ってこないので、ミクシイ、ツィッターで情報交換をした。集会所に200人が避難しているのに物資が届かない。東京→新潟→山形という経路で物資を集め、山形に取りに行き、センターに運んだ。最初、生活センターのおじいちゃんから「おめエらの来る所じゃあねえ」と言われたが、今では、「おめえらがいないと、われらのいのちの綱だ」と言われているとのことです。
今では、南三陸町の漁場の瓦礫はほとんどきれいになった。漁の邪魔なものが取り除かれただけの状態で、漁が出来るとこまでにはまだ行かない。越喜来小学校は避難訓練のお蔭で全員助かった。未だに宮城県で1317名が行方不明。陸上は手つかずのままで、側溝が埋まったままになっている。それで、120名のボランテイアが入って、歌津町の側溝掘りをした。財布が出てきて、遺族に渡すことが出来た。手付かずのままのところがまだまだいっぱいある。
3月11日には、200人のボランテイアを募って捜索する予定である。などお聞きしました。
12:30 「南三陸さんさん商店街」 で昼食

南三陸さんさん商店街
プレバブのお店が並ぶ商店街。 こういった商店街がいくつか出来ているが、とにかく作って動き出した商店が、復興計画のために、いずれ立ち退きを迫られるところも出てきていると聞きました。 人の動きと復興計画の策定にミスマッチがあるということなんだろうと思います。

キラキラ春つげ丼
勝又さんが、「今、流行らそうとしているのがキラキラ丼です」ということで、いただいた。チラシのようないくら丼にお刺身、地元の野菜の天ぷら、美味しかったです。
13:50バスにて歌津港に向かう。車中で勝又さんのお話し。
バスより見えている「ツバキ島」。人が入れないが、今、研究者が入っている。まるまる波に浸かったのに木が一本も枯れてないという不思議な現象があるので、その研究で入っているとのこと。「たぶのき」が枯れてないので、「たぶのき」を植えて防潮堤にしようという研究が始まっている。という紹介がありました。他にもいろいろお聞きしましたが、紙面が長くなるので略します。
14:10歌津港に到着 歌津漁協の人達が準備していただいた念仏回向の船に乗船する。

歌津港

三艘の船に、僧侶、ボランテイア、地元の方々と別れて乗船。 ライフジャケットは歌津漁協の人達。

船上回向 ボランテイアの方々が乗った向かいの船から報道のカメラが私たちを捉えていたことをあとで知りました。

船上回向
好天で波は静かと思われたが、少し湾を出ると、波も荒くなり、寒風吹きすさび、合掌する手が次第にしびれ感覚が無くなっていった。揺れる船、足で踏ん張りながらおつとめ。 この寒さの中で、震災当日流された方がどんなであったかと思いながらおつとめしていると、自然と腹の底からお念仏が口をついて出てきました。

船上回向
おつとめのあと、地元の遺族の方が乗った船と気持ちを合わせて、海上に献花し、亡くなられた方の供養をしました。
このときの様子は、地元版の河北新報や朝日新聞に掲載され、その動画を安楽寺のfacebookに載せています。
15:30歌津港を出発し、ホテルへ向かう

流された住居の所に建てられた切り抜き文字 ある作家の方が切り抜き文字を作り、建てられているとこと。 手前のは 「里海の恵みと美しい風景を未来に」 と読めます。 車窓から撮影。
16:00南三陸ホテル「観洋」着

ホテル「観洋」 太平洋(志津川)湾に面している。
おかみさんのお話しでは、海に面しているが、高台の岩盤の上に立っているので、建物は大丈夫だったが、津波で1Fと2Fが壊されたとのこと。
地震に耐えた立派なホテルです。
18:00からホテルの女将さんから震災当時のこと、今の状況など、お話を伺った。

女将さんさんからお話を伺いました。
全国から、この地を重ねて訪ねて欲しい。直接見聞して被災地を感じて欲しい、と訴えられ、一日も早く日常を取り戻したい、と願われていました。
女将さんのお話しからその一部を抜粋紹介。 高台の岩盤の上に立っているので地震の被害はさほど無かったようです。高台にあるため、対岸が津波に襲われる様子が見え、女子職員が泣き出しみんなが泣いていたとのことです。ライフラインも全て途絶える中で、お客様の安全と職員の安全を第一に先ず避難させること。ついで救援、支援に動かれた。建物が無事だったので、避難所として被災者の受け入れなど奔走されたそうです。現在は、無料のお風呂の日を設けたり、コンサートをしたり、本の読み聞かせなど、ホテル業と並行しながら、地域支援に尽くしておられる。今、人口流出が激しく、風評被害もあって、地元の産物が売れないなど、数多くの問題を抱えているとの現状をお聞きしました。

夕食を兼ねて懇親会

地元の方々との懇親会
船を手配していただいた歌津漁協の人達、市の職員の方、ボランテイアの方々から、いろいろなお話しを聞かせていただきました。
地元の方々、ボランテイアの方々と、共に食事をしました。漁協の千葉さん、市の職員の太斎さん、ボランテイアの団体で来られていた慶松さんのおじさん、地元の阿部さんなどの多くの方からいろんなお話をお聞きしました。いろいろ紹介していただいた慶松さんと繋がっておられる方々で、改めて、慶松さんのご尽力にありがたい思いをしました。 (こうして一日目終了) お聞きしたことは紙面が長くなるため、ここでの掲載は省略します。