よもやま話 第7話 仏教クラブでスピーチ
2月8日(金)京都の仏教クラブでスピーチをしました。
仏教クラブの2月例会で住職が日本人の「まつる心」と題してスピーチしました。
日本では、自然の巡りの中で、まつり事は旧暦で行わなれてきました。旧暦は月の満ち欠けによるものですから、朔日から上弦の月(7日~8日頃)を目印に準備をし、満月(15日)を目印にお祀りし、下弦の月(22日~24日頃)を目印に送りしまいをして晦日を迎えるという流れを持っていました。お盆とお正月は、祖霊信仰に同じ起源のまつりです。祀るのは、お盆ではその家を守ってくれるご先祖であり、正月ではその家を守ってくれる歳神様であり、いずれも祖霊信仰によるものです。迎え、共に過ごし、送る、という祀り方は、正月もお盆も同じです。
人の一生の儀礼と没後の供養の儀礼は同じ要素があります。例えば、生まれて7日目に「お七夜」で命名し、百日目に「食い初め」をしますが、仏事では、初七日があり、百ヶ日供養があります。人は儀礼を通じて大人となっていきますが、没後の魂も年忌法要を経て次第に魂が浄化され、33回忌あるいは50回忌で「問いきり」「弔い上げ」されて個別の供養を終わりご先祖となり、祖霊として祀られるようになります。祖霊は、毎年、正月にその家を守る「歳神様」として迎え祀られるのです。
「お年玉」は新しい年の「年魂(としだま)」をいただくことから生まれた習俗。新しい年の「年魂」である「歳神様」が来訪される目印が門松であり、その魂が宿るのが「鏡餅」です。「鏡」は、魂が宿る象徴です。
お嫁入り道具の荷入れの時、先ず「鏡台」を運び入れ、それから他の嫁入り道具を運び入れたのは、先ず「魂」を迎え入れる概念から生まれた習俗です。
これらはスピーチの一部ですが、日本人は古来、「魂」をまつること大切にしてきました。現在、そのことが忘れられつつあるのは、まさに「魂」を失いつつある、寂しいことです。